昆布業界の課題
喜多條清光
株式会社天満大阪昆布


1.はじめに
 私は大阪の「こぶ屋」に生まれ,今現在も「こぶ屋」の二代目として商売を,日本を代表する(天神祭り)で有名な大阪天満宮のそばでやっております。大阪では昔より,昆布のことを「こぶ」または「おこぶ」という風に申します。内田当百という人の川柳に「しおこぶを しおこんぶというまずさかな」という有名な句があります。それほど昆布は大阪の人々にとって親しみのある食べ物であります。少し,北海道で採れる昆布がなぜ大阪を中心として発展していったかについて述べさせていただきます。
最初にお断りしました様に,私は「こぶ屋」で歴史的な,科学的な難しいことはわかりません。資料等もあやふやなことが多々あるとは思いますがご勘弁下さい。おまけに私は日本でただ一人の「昆布講談師」でもあります。上方講談の第一人者「旭堂小南陵」を師に持ち師匠より「天神堂梅光」という名前をいただいております。少しでも消費者(特に若い女)に昆布に興味をもってもらおうと,昆布にまつわる講談を機会あるごとにやっております。これからのお話,皆様ご存じのように「講釈師見てきたような・・・」と申します。どうぞ気をつけてお聞き下さい。

2.松前・富山・大坂・薩摩・琉球・清
 今でも,よく本やテレビなどで日本で一番たくさん昆布を食べる県は「沖縄県」であるというようにいわれることがありますが,実は総務庁発表の家計調査では,平成3年くらいまでは事実沖縄県が消費数量では全国一位でした。しかし,平成10年の調査では消費数量では全国7位,金額では全国10位にまで下がっています。しかも一人あたりの計算になると,消費数量では13位,金額では12位にまで下がってしまいます。ここで申しております昆布とは佃煮昆布は除きます。いわゆる,出し昆布,煮昆布,とろろ昆布、おぼろ昆布、ふりかけ昆布、おやつ昆布等の合計のことです。今も昔も日本で生産される昆布の95%は北海道産です。残りが東北3県で生産されています。この北の端で採れる昆布が,南の端の沖縄で大量に消費される様になったのはなぜでしょうか?
 実はその大きな理由の一つに,越中富山藩と薩摩藩はどちらも大変財政の苦しい藩であったということがあります。特に,薩摩藩などは文政(1818年?1830年)の頃には藩の借金がなんと500萬両にまで達していたそうです。これは実に天文学的な数字でありました。そこで,藩の財政建て直しに出てきたのが江戸時代後期の坊主上がりの調所広郷(ずしょひろさと・通称笑左衛門1776年?1848年)です。この人のやり方は荒っぽかった。まず,500萬両の借金の棚上げ,実は250年の分割払いの提案。その次が大量の贋金作り,藩をあげての贋金作り。もう一つは,天下の御法度,抜け荷(密貿易),ここで昆布が登場してきます。まともな政策といえば物産の国内生産の奨励と藩専売ぐらい。結局は密貿易の責任を問われて服毒自殺をするのですが。前置きが長くなりましたが,いよいよ本題です。
 江戸時代の寛永5年に大阪の阿波座に新堀が掘られまして,薩摩藩の荷物を陸揚げする所ができました。ここを今も薩摩堀と申します。ここに薩摩からの荷物を受ける定問屋が7軒ありました。主な扱い品目は,砂糖・鰹節・たばこ・菜種油・椎茸などです。一方北海道松前藩は函館産物会所というものが大阪市西区靭にありまして,靭周辺で13軒,堀江,西道頓堀近辺で65軒の問屋があり,主にニシン・昆布・するめ・鮭など200種余りの物産を扱っておりました。その下の仲買だけでも250軒,昆布専門の仲買が25軒あったといわれています。
では問屋の数が10倍ある松前藩が薩摩藩より裕福であったかというと,そうでもなかったのです。薩摩藩は松前藩の昆布を利用して大儲けをしていました。昆布は琉球を間にはさんで当時の清国との密貿易の一番大事な品物であったのです。というのも当時清国では,今で言うバセドウ氏病・中国では大勃病と言ったそうですが,これの予防・治療にはヨードを多く含んでいる昆布が一番良いと経験上わかっていたようです。それも幅広のよく出しの出る昆布,これを中国では海帯(ハイタイ)といいますが,これを欲しがっていた訳です。この昆布と唐渡り,南蛮渡来の秘薬とを交換したわけです。この秘薬と昆布の間に立っていたのが,北前船の寄港地近くの越中富山の薬売りさんと薬の町大阪の道修町でした。この富山と大阪の2カ所は同時に昆布の大消費地になっていくのです。
 さて,琉球は薩摩藩からは幅広の昆布と共に「出し」のでない長昆布も大量に押しつけられます。しかし,清国側は幅広の海帯しか引き取ってくれません。そうして安物の長昆布だけが琉球に残されました。昆布のことだけを見ても当時の琉球の立場の弱さがよくわかります。この長昆布を利用して,クーブイリチー・クーブジューシーといった琉球家庭料理が発達し,本土とは全く違う形でもう一方の昆布の大消費地となっていったのです。

3. 昆布業界での消費における課題
 ここまで昆布の歴史的な背景についておおまかにお話してまいりましたが,現在の私たちの業界における課題・もちろん将来においてものことですが,2つあると思います。ひとつは,いわゆる若い世代の昆布離れ。もう一つは他の業界に類を見ない非常に変則的な需給状況と価格形成の不可解さです。他にも後継者問題等いろいろなことがありますが,今回はこの2点に絞って考えてみたいと思います。
 最初に述べたことですが,沖縄の一世帯あたりの昆布の消費量の変化と若い世代の昆布離れとは大きなかかわりがあると思います。なぜ沖縄の昆布の消費量が急激に減ってきたか? その一つに食の標準化ということがいわれております。沖縄の昆布の使い方は,ご存じのように本土とは大変な違いがあります。昆布で出しを取るという感覚はほぼ皆無です。出しはあくまで鰹節と豚肉からです。昆布自体は茹でて使います。そして茹で汁はほとんどの場合,全部捨ててしまって茹でた昆布を料理するのです。昆布はまず「出し」を取る物という習慣の本土からみれば勿体ないということになりますが,沖縄でよく使われる長昆布はあまり「出し」の出ない種類のものですので,これは理にかなった調理法といえます。
沖縄の代表的な家庭料理に,豚肉と昆布を炒めたクーブイリチー,かじきまぐろを芯にした昆布巻き,刻み昆布と豚の炊き込みご飯はクーブジューシー,いかと昆布の煮物といったものがあり,健康食ということで最近本土でも注目されつつあります。
 しかし,反対に最近の沖縄ではファーストフード,ファミリーレストランの進出,コンビニエンスストア等,若年層から,序々に本土とほとんど変わらない食形態になりつつあります。特に若い主婦層に,クーブイリチーに代表される様な「沖縄のおふくろの味」が敬遠され,ハンバーガー等のファーストフード化が進んできています。
こういう状況の中,我々昆布業者にとっての大きな問題は消費の維持・拡大にあります。それは,すなわち,日本の各地方で育まれてきたそれぞれの食文化を守り,育て,ひいては国民の健康を守っていくことにつながると考えています。食生活の変化に伴い消費が低迷しているとはいえ,昆布の素材としての魅力は充分にあると思います。和食には欠かせない「こんぶ出し」という基本的なものです。
その他に,健康食としての昆布,ごく最近も昆布にふくまれるフコイダンの効果が新聞紙上をにぎわしていました。以前よりいわれておりました高血圧症の予防効果,食物繊維の摂取による効能等いろいろと我々にとっては追い風になるべき事柄はあるのですが,いずれも今ひとつ経済的なメリットとしては現れておりません。
昨年は,関東の女子高生の間で通学かばんの中に「酢昆布」を入れるのがブームとかでマスコミでも大いにもてはやされましたが,ほんの1・2ヶ月でそのブームも終わってしまいました。以前にも根昆布のブームというのがありました。タレントのうつみ宮土理さんの「根昆布健康法」という本が大ヒットし,日本中の昆布屋さんの店頭から根昆布がなくなってしまうとういことがありました。もちろん価格も約20倍まで跳ね上がってしまい,その後数年間は品物を確保するのに大変な時がありました。一時のブームではなく長い消費につながるものであってほしいと思います。若いお母さん方が,子供たちにごく自然な形で昆布を食べさせるようにし,その確かな繰り返しが,又次の世代に続くというのが理想です。
 次の項で述べたいと思いますが,緩やかで長く続く消費には供給量と価格の安定が不可欠です。いまではすっかりおなじみになった感のある「おやつ昆布」ですが,実はこれには誕生の秘密があるのです。昆布は,着床してから成昆布になるのに2年強の期間を必要とします。成昆布になるまでには,冬の流氷・夏の台風・水温の上昇による根ぐさり等自然環境の変化により生産量が大きく左右されてしまいます。そこで昆布の安定供給を目指して考えられたのが魚と同じ養殖昆布です。昭和47年より北海道道南地方で本格的に養殖事業が行われ,48年には100tあまりの収穫がありました。(同年の道南地方の天然昆布の生産量は約1500t)現在は全道で年間約5000t?6000tの養殖昆布が生産されています。特に近年は光・温度・そして照度を人工管理し生育期間を一年に短縮した「促成昆布」も生産されています。しかし,当初の目的であった生産量の増加,安定供給という面では全く目的を達することができませんでした。逆に全体的には生産量の減少につながってきています。
「塩吹昆布」が衰退していく頃に神風のごとくあらわれたのが「おやつ昆布」でした。それまではおやつの昆布といえば出し昆布をそのまま食べるか酢昆布くらいのものでした。消費地でも養殖昆布の使い道をいろいろ考えていましたが,出し昆布としては形は良くても味はまだまだ天然昆布には及ばす,塩昆布に炊くと柔らかすぎたり,とろろ昆布には薄すぎたりと大変中途半端な材料だったのです。そして価格も暴落し,当初の半値近くまで下がりました。そこで,煮ると柔らかくなるという点を生かして,調味液で一度煮たものを乾燥させて適当な大きさに切り,「口にいれるととろけるおいしさ」というキャッチフレーズで「おやつ昆布」が売り出されたのです。発売と同時に爆発的な売り上げを示し,「おやつ昆布」の大ブームを呼んだのです。これは,現在まで安定した売れ行きを持続し,立派に昆布製品として昆布屋以外にも珍味・菓子店等でも店頭に並べられています。この「おやつ昆布」に続く新たな商品の出現が待たれると同時に又開発しなければならないと思います。

4. 不思議な流通機構
 元々,昆布の戦後の平均生産量は年間乾燥した物で約30,000tと言われていました。戦前は旧樺太(現在のサハリン)が日本領であったのも加えて,多いときには85,000t近くの生産がされていました。
しかし,最近は海底の磯やけ,海水温の上昇などで1998年・1999年と2年続きの大凶作で年間の生産量が20,000tを割り込みました。養殖事業も増産には役立たず,生産量は減る一方です。当然この不況にもかかわらず価格はひどいものになると前年の3倍近くにも上がりました。消費者の方は非常に価格に敏感で前年より目に見えて販売量・金額共に落ちてきました。業界全体にとっても危機的な状況です。
最近は流通機構の簡略化がいろいろ検討されてきていますが,まだ日本国内の流通の複雑なことは世界でも類をみないものです。その中でも昆布の流通ほど複雑な物はないでしょう。まず最初,生産者が採取した昆布は各地区の漁協(漁業協同組合)が集荷をし,それを北海道漁連(北海道漁業協同組合連合会)に委託し販売されます。通常の農水産物であれば,ここで入札やセリで販売されるのですが,昆布は生産量の多くが「協議値決」という制度で問屋に販売されます。昆布の価格は元々入札によって決められていたのですが,天産物ゆえの豊凶作による価格の大暴騰・大暴落の波に見舞われ,生産者をはじめ昆布関係者は大きな苦境にたたされました。そこで考え出されたのが,共販制度(共販協会を作り,そこでの生産者・消費地問屋・北海道漁連の三者による協議値決め)だったのです。昭和29年のことでした。当初は価格の安定にかなりの効果を上げていたのですが,昭和40年以降は逆に個々の権利を主張し合い,互いの信頼関係がくずれだして正確な生産量の把握が難しくなり,価格の高騰につながっていったのです。そして,生産地で価格が決められた昆布は問屋にわたり,加工業者,小売店を経て一般消費者に賞味されることになります。
昆布の流通過程を表すと次のようになります。生産者(漁家)→ 各地区の漁業協同組合
→ 北海道漁連 → 共販協会(現協同組合) → 一次問屋(共販会員) → 二次問屋(卸)→ 加工業者 → 小売り業者 → 消費者
ふつうでは理解しにくいと思いますが,昆布においては必要な人が必要な時に適正な価格で自由に仕入れをすることができないのです。現在でも北海道で生産された昆布を生産者が自由に販売したり移動することを北海道条令で禁止されています。一度は北海道漁連の手を通らなければ,今でも正規ルートの商品とはみなされません。
では昆布は日本でしか生育していないのでしょうか?これについては皆様方のほうがご専門で研究なさっていることと思いますが,近い所では北方四島,サハリン,韓国,中国と昆布の採れるところはありますが,その昆布を食品として自由に日本に輸入する事ができないのです。今ではわずか17品目しか残っていないI・Q商品(輸入数量制限品目)に指定されているのです。もちろん禁制品ではありませんので,年間2,000tほどは輸入されています。しかし,輸入の相手国・数量を決めるのは北海道漁連ただ一つです。一方,輸出については全く規制がなく,多いときには台湾・香港に10,000t近く輸出されたこともあります。
北海道漁連は基本的には北海道の漁家の代表機関ですので,当然昆布の価格の高値維持を試みます。そこに現実の消費状況と価格との大きなギャップが出現してきます。ただし,これについての責任は何も北海道漁連ひとりのものではありません。我々業者も各自の利権のこともあり,何の行動も起こさずに来たことも事実です。
ようやく今年になって,業界を代表する機関「社団法人日本昆布協会」において,昆布の輸入自由化を促進することが決議されました。少し手遅れの感もありますが,何年間かの間には外国の良質の昆布が自由に日本入ってくることを期待しています。それにより,わが昆布業界も新しい方向を見出し,歩めると思います。
おわりに,我々の仲間の若い昆布専業者の間で「昆布に携わる者の責任と使命について真剣に考え直してみよう」という流れがあります。私たちの業界において後継者というのは,ほとんどの場合,私もそうですが経営者の息子か親戚の者に限られています。先代・先々代より引き継いだ会社をこれからどのような形で経営していくかということは大きな課題になっています。会社の大小にかかわらず健全な会社経営ということは経営者にとって一番大きな使命だと思いますが,果たしてそれだけでいいのでしょうか。
昆布我々の扱っている「昆布」は単にお腹を膨らませるだけの食べものではなく,日本の食文化の大事な一端を担っている食品だと考えています。昆布は,出し,煮物,そのまま食べる,飲む等いろいろの使い道のある食品です。しかしほとんどの場合,料理の主役にはなりえず得ず,常に脇役として扱われています。特に「出し」として利用される場合には食べる段階においては,元の形すらとどめないものですが,その脇役の力で主役の持ち味を2倍,3倍と引き立てていくのです。先人が何百年とかけて築き上げてきた日本の食文化を支える原点ともいえる食品だと私は思っています。
我々2代目,3代目の若い経営者は先代のやってきた仕事をそのまま受け継ぐのでは何の意味もなく,何か新しいことを自分の代でしなければいけないという気持ちは常にあります。もちろんそういう気持ちは大切なことですが,早く何らかの成果を生み出さなければならないとあせるあまりに,最も大切なことを忘れてしまいがちです。昆布業界にもこれまでになかった食の洋風化への参入,減塩対策,ヘルシー志向の商品開発,そして食品として以外の分野での昆布・海藻の活用等々,新しい流れは出来つつありますが,そういった流れの中で私たちが見失ってはならないことがあると思います。特に日本の伝統食「昆布」を扱う者として,先祖より受け継いだ昆布文化の伝承を強い意識を持って行う必要があると思います。私たちが今携わっている「昆布」は生産者のものではなく,もちろん我々業者のものでもなく,又消費者だけのものでもない。日本の食文化の基だと思い,大切にしていかなければならないと考えています。「昆布を商材から食材に!」の合い言葉の元に!